おくりびと

実家の母を見送ってきました。

去年の秋には体調不良がひどくなって検査、手術したものの
すでに治療のできる状態ではなくガンの末期。
痛みが強くなってきた2月の半ば頃からは
持続的に痛みをコントロールしてもらっていたので覚醒している時間が徐々に短くなっていました。

時間的には母の終焉もそろそろ。
納期が切迫した仕事が重なり夫の頬と尻はげっそりとやつれ、
おまけに姑も重篤になって入院してあわただしい日が続いていました。

簡単に帰って来れる距離なら忙しくっても行ったり来たりができるのに
ふつうにお勤めしているのならひとりふたりが休んだくらいじゃ
何の不都合も生じないのに、零細企業はそうもいかず……。

「悪いけど、看とってやれない。
今の状態だと葬儀にも自分しか行けないかも」
「いいよ、いいよ」

普段も不義理なのにいつでも甘えちゃってるな。
でも、いっぺんに何もかもはできようもなく
夫は家に残してひとりで向かおうと決めました。

自分の仕事は先にも後にもできることがほとんどだし
いつでも、どっちの親がどうなってもいいようにはしていました。
幸い、姑は回復にむかっていますが病院からはたびたび連絡が来ます。

夫には自分の仕事と親を
子ども達も一日だけの休みじゃすまなくなるだろうし、
ぱー子ちゃんに犬の世話をしながら留守をお願いと
帰省する支度をしていたら

直前になって2号が「俺も行く」なんて……。

こいつったら
活動時間がわたしらとズレてるから最初っから番外だったのに。
でかいからオヤジの代わりにカッコはつくかもしれない。
そう思って、2号と二人で行ってきました。

他界する一週間前頃から呼吸が止まりだしたと知らせが入ってから
その後一週間、母は生命の灯を消すまいとしていました。
おしっこが出なくなって呼吸が止まり脈も触れなくなっても
母の心臓は半日ほどペースメーカーに信号を送って動かそうとしていたようです。

取る物も取らずに駆けつけたほうがよかったのだろうか
「心配いらないよ。だいじょうぶだよ」と枕元で聞こえるのを待っていたのだろうな

帰省の列車の窓から荒波の海を見ながら
そんな思いも浮かんできました。

でも、実家で横たわっている母の亡骸を見て
わたしの心の中には安堵の気持ちがいっぱいになりました。
老いてからは家族や親類のおばさんや近所の方々にもお世話になったり
面倒をかけたりしたこともあったかもしれない。
けれど、亡骸の母は「やっと、これで肩の荷がおりたよ。思い残しはないよ」
とでも言いたそうな、私利私欲のない無垢に戻ったような顔に見えました。

だから、わたしの口から出たのは
「みんなに見守られてよかったね。もう安心していいんだよ」

通夜の準備をしながら
お悔やみに来てくれた方たちと話しこんでみたり飲んでみたり。
ときには笑い話になったり。
おまけに、にわかいとこ会を発足してしまったり。

これが、働き盛りの人や若い人の葬儀だと
周囲も充足感もなく、ただただ辛い別れになるのでしょう。
苦労をいっぱいしてきた分、最後は皆に満たされた思いを残してくれた母に感謝です。

山形県の鶴岡、酒田、遊佐の庄内地方は
映画『おくりびと』のロケ地になったところ

納棺の前に湯灌をするときに
2号に「本家本元のおくりびとなんだからね!よく見ておきな」
「えっ!!」
「そうよぉ~、あちこちでロケしてたんだよ」

最後の洗髪と身支度を手伝わせてもらいました。

あ~、その口紅の色はおかしい。こっちじゃない?
いや、もうちょっと赤みがあったほうがいいか?
眉毛だけは描いてもらいたいよねぇ?

外野がぐちゃぐちゃと言ってても吹き出しもせずに
納棺師さんは淡々と仕事をこなし、亡き人の人生を思ってくれていたのだと思います。
ありがとうございます。

近所にある曹洞宗のお寺はこの集落のほとんどが昔からの檀家という地域です。
通夜の後、住職さんが母の思い出も語ってくれました。
住職さんは母と話していて、いつも忍耐を教えてもらっていたと。
わたしも我が母ながら、忍耐の人だと子どもの頃から感じていました。
そして母を思いながら戒名をつけさせてもらったとその意味も教えてくれました。
ありがたいことです。

でもねー
この地元の人たちって生前に戒名をもらっていることが多い。
父のときもそうだったし
何で、今さら通夜で戒名の由来を言うのかな?

ちょっとだけ思った。

そしたら、通夜の打合せのときに
おばさんが戒名の格上げを頼んでしまったらしい。(^_^;)
ま、いいんじゃない?
この2年は、施設と病院で過ごして
おばあちゃんが面倒かけたのは死ぬ間際の一週間くらいなんだし。
住職さんがわたしの知らない母の姿をいろいろ語ってくれたことが幸せだった。


ちょっとアヤシクなるけど、
実父は本人も予期せぬ突然死だったせいか
四十九日まで毎晩わたしの元に来ていました。

でも、母の場合は何の知らせもなくって……。
おばあちゃんはわたしのことは心配いらないって確信していたんだな。
そう思うと不思議と自分の人生をも満たされた気持ちになります。

じいちゃんの方があの世の先輩だから
いろいろと見物させてもらうといいよ!

帰省の支度をしているときに、ぱー子ちゃんに聞かれました。
「親を亡くす子どもの気持ちってどんな?」
「うーん、そうだな~
ぱー子ちゃんくらいの年齢のときだったら混乱するばっかりだろうけどね。
お疲れさま!ほ~っとしたでしょって言ってやりたい気分~」
「……」
「その時の親子の年齢や関係によっても、死因によっても捉え方は様々じゃない?
おじいちゃんのときは前触れもない突然死だったから
受け入れるのに時間がかかった。
あの頃は若かったし、
ぱーまんのことであっちのばあちゃんからは勘当、
こっちのばあちゃんからは出てけーなんて言われてたときだったから
知らされても、どーすりゃいいのさって混乱しかなかったもんね。

でも、おばあちゃんとは転んで歩けなくなるまでずーっと文通してたんだ。
おばあちゃんの死に迫る時期が来ることも、そのときにどうするかってこともお互いに書いていた。
おばあちゃんはわたしの心づもりを泣きながら何度も読み返したよって書いてきた。
そして、わたしを尊重してくれた。
それがおばあちゃんのささえになっていたと実感できるから
離れている娘が死に目に駆けつけなくても、おばあちゃんは笑ってくれたろうなって思う」

「ふうん。でも、やっぱり、最後は顔見たかったのじゃない?」

娘よ、わたしに後悔の念を持たせたいのかい?


帰省して近所のおばさんに言われました。
「ここのおばあちゃん、いつもニコニコしながら手紙抱いてポストに出しに行ってたよ。
お姑さんもいて早々帰れないから親の代わりに面倒みるからねって言うようになって
やっと一人前になってくれたって、いつも手紙抱いてたよ」

……忍耐の母は愚痴をこぼさないのです。


だけど、わたしはこぼします。(笑)
戻って来たら、仕事がすんご~く溜まってます。
おまけにこっちのばあちゃんが誰も見舞いに来ないとメソメソしてると
ドクター、ナースからも続けて電話が……。

さびしくって泣くなんて
おばーちゃんのプライドが許さなかったんじゃないのぉ~?

実の息子(ご亭主さん)には
いつ連絡が来るかもしれないからってあれだけ言っておいたのに……。
何で通夜のわたしに病院から連絡が来るかな~。

帰ってきたら、ぱーまんから報告があったよ。
「おとうさん、飲みに行ってたし」
ぱー子ちゃんまで「口止めのケーキ買って来たって食えるもんか」
めずらしく手つかずのまま冷蔵庫に入ってた!?(爆)


葬儀で家を空けていたことを伝えて、
夕方になってから亭主と駆けつけると息子の姿を見て「誰が来てる?」

「け・ん・じぃー」(ノ_-;)ハア…
あ、わたしったら嫁なのに~

顔つきも口調もはっきりしてきたけど
ところどころ、わたし達には「超いみふー」

ああ、おばあちゃん
わたしは無償でなんてお相手できませんから~。(x_x) ☆\( ̄ ̄*)バシッ

コメント

非公開コメント

お連れ様でした。

そ~でしたか。。。お互い寂しい春になってしまいましたね。

お母様のご冥福をお祈りいたします。

ガンバロウ中年v-91

いつかは。。。

私にも同じ日が訪れるのですね。
遠い実家でのお別れ、お疲れ様でした。

ご冥福をお祈りいたします。


No title

ご苦労様でした

山梨の方はなかなか吹っ切れないようです

でも彼女のブログで

「WALKING TOUR」のお話はなかなか良かったです

見たかもしれないけど!


年寄り通しお互い応援し合いながら元気に頑張っていきましょ!

アホなわんも付いてるし!

ありがとう

離れているから、忙しいからをいいことに
晩年の母には何一つしてやれなかったな~と思ってはいるんです。
多少の罪悪感をどこかに吐き出して整理していってるつもりなので
長ったらしいブログになってますが……(笑)

みなさん、心遣いありがとうございます。
すくうと崩れてしまいそうな骨を見たときはさすがに声が出ませんでした。
でも、この人はまっすぐな人生を送っていたのだなあと
改めて誇りに思えた葬儀をしてもらえたので
「この世に未練を残しなさんなよ~」と心の中で話してあげました。


きなもっちさん

まだ落ち着かないですよね。
ぱぱりんがコメントくれたように、もうじきだなという時に
わたしも「WALKING TOUR」のお話しで救われたんですよ。
がんばるよ、中年だもん!
いや、そろそろ老年かも~v-411

星宿さん

こればっかりは、避けられないですからね。
親より先に逝かなかったぶんだけ親孝行はしたぞ!
って感じ?(笑)

ぱぱりん

そりゃ~、吹っ切れないのが普通かもしれないですってば。
後になってから、じわじわ~と悲しくなったりすることも多いでしょうし。
「WALKING TOUR」よかったね
ジーンと胸にしみたよ。
母他界の前だったから落ち着いていられた。
この前のコメントのお返しも東京駅に向かう中央線の中で打ってたし。(^^ゞ

No title

そうだったんですね…
胸にジーンと…
離れてるってことは、こういうことなんだな~って。
ぱぴっちさんも気丈に書かれてますが、辛かったでしょう。
これからはお母さんがいつも傍で見守ってくれてますね。

お母さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

†Hana† さん

ありがとう
多くのお年寄りを見ていると、
親はどんなになっても親なんだなあと思い知らされていました。
ヨロヨロになっても、ときにはわからなくなっても親は子の幸せを願って
いるのだと思います。我が親も例外に漏れずです。

最後を看とってくれた家族たちは
終焉前の24時間はペースメーカーが動いているので
瞳孔が開いて臨終宣告を待ってるだけでしかなかったと思います。
連絡をもらいながら
このときは「もういいよ」と手を添えてあげたい衝動にかられましたが
「許せ!嫁に行った娘なんてこんなもんだよね」
って、わたしも母から最後に届いた手紙を読み返していました。

物や形では何もしてやれなかったけれど
親子でいられた時間を自分の中に刻んでいくことも
親孝行の形なのじゃないかと思います。

戻って来ても次は何が来るかー?
って感じで浸っていられないので、まだまだ気丈でいられます。
当分、あちゃ~って感じの日常になりそうです。
ま、それもいいかな~(^_^;)